小浜市立小浜小学校

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〒917-0077 福井県小浜市駅前町13-29

16日

スイミー「国語」(2年)

6月16日

4時間目

2年生は国語の単元「スイミー」の

学習をしています。

宿題で考えてきたことを話し合いましょう。

お題「⑤場面のあとスイミーは幸せになったのか、

まだなっていないのか想像してくる」

◆今日はP4cという方法で話し合いました。

P4cでの話し合いのしかた説明

・ヒントカードの紹介(意見が出にくいときに使う)  

「なんでそう思う?」  「ちょっと似ていて・・・」

「同じ考えなんだけど・・・」「しつもんなんやけど」

<P4c での話し合い>

ボールを持って自分の考えを言う。

ヒントカードを見せて質問をして話をつなげる。

○スイミーは幸せになった。

・もう食べられることはないし

 みんなと遊べると思う

○まだ幸せはでない 

・他にも食べられそうな魚がいそうだから

・まだ食べられることがあるから

・まだ大きくて食べる魚がいると思うか

「なぜそう思うの?」

・まだ海のすべてを回ってなくていると思うから

・大きなマグロを追い出してもまだ恐ろしい

小さいマグロの兄弟たちがいるかもと思うから

「なぜそう思うの?」

・まだ見つけられていないから。

「同じ考えなんやけど・・・」

・マグロに赤ちゃんがいて

 それが食べに来るかもしれないから。

・まだ大きい魚たちがいるかもしれないから

 幸せではないと思う。

「なぜそう思うの?」

・海は危険なところがいっぱいあるから

まだ幸せになっていないと

考える意見がほとんどでした。

・初めてのP4cでの話し合いに

楽しそうに参加していました。

・ヒントカードが有効で、積極的に

質問をして相手の考えを深めていました    。

どきどきしたけど「道徳」(2年)

6月16日

4時間目

2年生の教室では

道徳の学習をしています。

めあて

「人にやさしくすることは

どうして大切なのでしょう」

自分の考えをワークシートに書き込んでいます。

ペアで伝え合い。

登場人物Aさん

・消しゴムを貸してあげたいけど

あまり話したことがない。

消しゴムを貸してあげられてうれしい。

・仲良くなれてよかった。

登場人物Bさん

・一人でお母さんを探せるかな。

・迷子になっているなあ、でも

知らない人に声をかけるのは

緊張するなあ。

・お母さんに会えてホッとした。

・よかったね。

登場人物Cさん

・ハンカチが落ちているけど、

誰かが拾ってくれるかな。

・あまり話したことないしなあ。

・お気に入りのハンカチを渡せてよかった。

・ありがとうと言ってもらえてうれしい。

・なくさなくてよかった。

・助けられてよかった。

・人任せにしなくて自分が拾えてよかった。

優しさと不安、生活していると、

色々な気持ちがあるのだけれど、

それでもやっぱり、人に優しくすることが

大切だと思ったから、(登場人物の人たちは)

優しさを行動に表すことができましたね。

みんなにとって、優しさが大切なのは、

どうしてですか。ふりかえりを書きましょう

・人(相手、周りの人、自分)が

いい気持ちになる。

・優しさをもつ。

・一人では生きていけないから、

助け合う。

歯っぴーの日(大豆とわかめのごはん、豆腐のごもく煮)

6月16日

今日 のお箸 チャレンジの献立 は

肉団子 です。大 きめの肉団子 を

箸 でつかむには点 ではなく面 を

使 うことがポイントです。

箸 を少 し寝 かせるようなイメージで、

箸先 の側面 を肉団子 のカーブに

広 く沿 わせるように当 てると

握 る力 が強 く伝 わります。

いろんな形状 のものを、

すっと掴 めるようになると、

箸使 いが美 しく見 えます。

持 ち方 と一緒 に、

食 べるときの姿勢 も意識 してみましょう。

ご飯

にくだんごのあまずあん
かみなりじる

牛乳

 

戦争体験と平和への願い「総合」(6年)

6月16日

5時間目

6年生は

ゲストティーチャーを招いて

総合的な学習を行います。

今日、お越しくださったのは、

若狭の語り部をされている

網本様、田邉様、坂田様です。

今日は、網本様に

「私の戦争体験と平和への願い」と

題して、お話をしてくださいます。

グラマンによる機銃掃射昭和20年6月26日朝8時

この日は、快晴でした。

家の庭で、父に散髪をしてもらっていました。

東の空の方から爆音が聞こえてきました。

丸山の方から、グラマンが飛んできた。

いきなり頭の上で、バリバリと、

機銃掃射を受けました。そして、

グラマンは海の方へ行きました。

海には、

帝国海軍第11水雷戦隊が小浜湾に

いたわけです。そこを狙っていました。

´

榎は機雷に触れて、沈没しました。

艦尾に当たったそうです。

機雷は夜間にばら撒かれます。

昼間に、機雷を除去するのですが、

とても追いつかなかったと聞いています。

遠くでも戦っていました。

なんで助けにいけなかったのか、

燃料がなかったんです。

やむなく、大豆油を使っていました。

これは、私が描いた絵です。

沈みかかけた榎が

西津橋、大手橋からも見えました。

沈没してから36年経った時に、

記念碑が建てられ、榎も植えられました。

戦争中の暮らしは、

「欲しがりません、勝つまでは。」が

合言葉で、ご飯には、

白いご飯を増やすために、

大根の葉っぱやサツマイモが入っていました。

ティッシュペーパーや紙はなくて、

新聞紙で字の練習をしました。

灯火管制と言って、電球に黒い布を

被せて、灯りが外に漏れないように

していました。

防空壕も家の畑に作っていました。

各家庭にある鉄や鍋、銅像などは

戦争のために供出となりました。

学徒動員は、男子の大学生は戦場へ、

小浜高等女学校(女学生)は、

福井市の花堂の工場で作業を

していました。

ひたすら紙を貼り合わせる作業で、

秘密事項と言われ、親にも言っても

いけないと言われていました。

それが風船爆弾です。

もし守らなければ、非国民と

言われました。

秋から冬にかけて吹く、偏西風に乗せて、

日本は実際に飛ばしたんです。

千葉とか茨城とか。

9300ほどと聞きます。

爆弾の高さは30センチほど。

アメリカに届いたのは360発ほど、

ほとんどが効果がなかったのです。

湯岡の防空壕です。

1944年に当時の旧制中学生が

元軍人の指導で、掘ったそうです。

湯岡橋の欄干には、転落防止の

ために、鉄筋が入っていたのですが、

壊して、中の鉄を供出されました。

戦争はなぜ起こるのでしょう。

人間に限らず、ライオンや鮎も

自分の縄張りに入ってくると

追い出そうとする。

日本は小さい島国で、資源がありません。

国のためには、必要なのですが、

ないんです。

そこで、日本が考えたのが、

大東亜共栄圏です。

植民地化を開放して、お互いに

共存しようという考え。

でも実際は違いました。

権利を確保して、資源を日本に

持ってこようとしたんです。

大東亜戦争と太平洋戦争と

二つ言い方があるのですが、

アメリカの真珠湾を

日本が奇襲攻撃をした。

日本は卑劣な行動をした。

アジアの支配を狙う日本が、

アメリカの介入を阻止するため

と言われています。

日本が広い範囲を支配してきた。

しかし、

昭和17年になると、日本を

敵とする、26カ国が連合国を

結成しました。そして、だんだんと

日本の形勢が悪くなってきています。

それでも、日本は戦争へと突き進んで

いました。

福井では、敦賀市と福井市が空襲に

あっています。

敦賀の街が焼けた時には、

小浜から東を見ると、その空が

赤くなっていたと聞いています。

昭和20年の終戦間際の7月に

ドイツのポツダムで主要国が

話し合い、日本に対して、

ポツダム宣言を出したが、

日本は、それを受け入れなかった。

そして、広島と長崎に、

原子原爆を落とした。

その後、ソ連が、宣戦布告をし、

北方領土を占拠した。

ついに昭和20年8月15日、

ポツダム宣言を受けた。

(天皇陛下の決断、玉音放送)

 

私は、戦争には勝者も敗者も

ないと思います。人を殺して勝ったり

生き延びたりしたとしても、

精神的に辛い思いをしている人もいます。

(生き残っっても心に深い傷)

平和とは、戦争や紛争がなく、

人々が穏やかに心配なく暮らせる世の中のことです。

お腹いっぱいの食事、ほしいものが手に入り、

勉強やスポーツに打ち込めることです。

今、日本の総人口のうち、

戦後生まれが88%を占めています。

今上天皇は

「過去の歴史から謙虚に学び、

深い反省とともに平和を守るために

必要なことを考え、将来へ繋げる努力が必要」

と、述べられています。

日本憲法では、戦争放棄、交戦権の否定、

戦力を持たないこと を定め、

世界平和に貢献をしています。

しかし、近年、日本を取り巻く情勢が

厳しさを増しています。

日本は、平和国家として、武力ではなく

あくまでも話し合いを第一に

積極的に行動していくことが

求められています。

皆さんも、これらの言葉をかみしめ、

人を人として認め合い、広い心で

思いやり、受け入れる気持ちを

持つように心がけてほしいです。

(「あゝモンテンルパの夜は更けて」を

歌ってくださいました。)

最後に質問をしたり感想を述べたりしました。

・グラマンが来た時には、

本当にやられたと思いました。

・女学生が私の家に怖がって飛び込んできました。

・本当に食べるものがなかったです。

ひもじかったです。

「欲しがりません。勝つまでは」でした。

・物がなかったです。ビスケットを食べたことが

なかった。憧れでした。

・防空壕の中で、生活したという思いは

ありません。家の中で、声をひそめて

生活をしました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

網本様、田邉様、坂田様、

子どもたちのために資料をご準備くださり、

また貴重なお話をしてくださり、

本当にありがとうございました。