12月5日
本日は地村保志様が
「拉致問題の早期解決を願って」を題として、
講演をしてくださいます。
最初にこのように言われました。
「拉致問題は終わった問題ではない。
拉致をされた人も同じように歳をとっています。
家族も高齢化しています。
ここ2、3年で解決しないといけない。
拉致問題を悲しい歴史の問題にしないでほしい。
悲しい歴史にならないように。
家に帰ったら家族にも伝えてほしいです。」
2002年5月の日朝首脳会談で交渉され
帰ってきたのは5人。
拉致されて24年経っていました。
それまで、北朝鮮は拉致を認めていなかったが、
突如それを認めました。
ただ、問題は、生存者5人を返しますと
いうことで、それ以外は亡くなっているまたは
入国していないと言われた。
そして、5人が一時帰国ということになった。
横田めぐみさんは、死亡年度が違うことから、
死亡とされている人たちも亡くなってはいないんじゃないかと
いうことで、活動を続けています。
日本は、北朝鮮を植民地としていたという
過去があるから、反日運動が起こっている。
それを理解してください。
朝鮮半島は南北に分断されていて
行き来ができないんです。(軍事境界線)
韓国は日本との行き来があり、
工作員も派遣していた。
北朝鮮の工作員を育てて、
日本人として海外に派遣させるために
拉致に至り、
アベックやヨーロッパにいる日本人、
若い女性、海外に呼び出されてなど
色々な拉致のケースがありました。
拉致をされたのは、小浜公園の展望台。
帰ろうとして立ち上がった瞬間
口を塞がれて、手足を縛られて、
黒い袋に入れらた(二人とも)。
肩車で砂浜まで連れて行かれた。
ゴムボートからモーターボートに乗せられて、
すごい速度で走って、後で分かったことですが、
大型船に入れて連れて行かれ、大型船の中で
初めて、袋を外されて手足を解かれた。
彼女はその場に残しましたと言われた。
北朝鮮の平壌から50キロほど離れた、
招待所というところで1ヶ月ほど一人で過ごした。
蓮池さんと一緒になり、一生懸命、朝鮮語を勉強した。
1年半ぐらいで、できるようになり
ある程度落ち着いた時、結婚しないかということに
なった。
そこで初めて、彼女も拉致されていたことを知った。
日本に返されたのは、お互いに知っているから
秘密が漏れないということだったのでしょう。
1987年に大韓航空の爆破事件が起きた時に、
田口さんから日本語を習ったということが分かった。
その事件以降の仕事としては、
日本の書物を訳するなどをしてきた。
(研究所のようなところにいた。)
最後は、一緒に過ごしていた蓮池さん、初めて知った蘇我さんと
(一時帰国という名前で)日本に帰ることができた。
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最後に、
拉致問題は、ここ2、3年で解決しなければならない、
家に帰って、お家の人にも話してほしいと
繰り返して伝えておられました。
子どもたちからの質問や感想の後、
この講演会を終えました。
地村様、後援会の森本様はいくつもの学校に
出向いて講演をしてくださっています。
お忙しい中、小浜小学校でもお話くださり
本当にありがとうございました。