信じた道に魂を打ち込んだ彫刻家 

松 木 庄 吉

雲浜小学校校門横の梅田雲浜像は,松木庄吉という人によって作られました。

 松木庄吉は、大正3年(1914年)上中町(現在の若狭町新道)で生まれました。のち、本郷へ移ります。本郷尋常高等小学校を卒業後、石工として父の手伝いをするかたわら,独学で石彫を勉強していました。

 昭和8年に,乃木将軍像を昭和天皇に見ていただき,その作品をずいぶんほめてもらったことをきっかけに、自分の石彫の才能に目覚め,21歳のとき、東京の小倉右一郎氏に師事することになりました。昼間は石材店で働き,夜は研究所で制作に没頭する毎日だったと記録にあります。12月から6月にかけてはふるさとへもどり,家業の手伝いをしたそうです。

 昭和10年,11年,12年次々と作品を発表していきます。そして,昭和13年(1938年25歳)の時に,第2回文展で初入選を果たします。それ以後毎年のように文展に作品を出品し高い評価を得るようになりました。(※文展:文部省美術展覧会)

 また,そのころから数多くの作品を手がけていきます。近いところでは国富小学校や高浜小学校へ二宮尊徳の石像を設置したり,若狭姫神社に石造大神灯を設置したりしていきます。遠敷小学校へも少し小ぶりの梅田雲浜像を制作しています。昭和17年には西津小学校へ「綱女像」を制作設置しています。このほか,小浜市文化会館のホワイエに設置されている像も昭和16年に旧小浜町に寄贈されたもので,第四回文展の入選作品です。

 では,雲浜小学校の雲浜像はいつ設置されたのでしょうか。それは昭和18年4月29日に旧雲浜小学校に設置されました。残念ながら,松木庄吉は昭和19年ニューギニアで戦死してしまいました。31歳の若さでした。

 松木庄吉は,人生30年という短い間に,精一杯芸術に打ち込んで尋常の人の及ばぬ努力とそのすばらしい感性を華やかせて,夜も昼もノミを使って,固い石や粘土や銅に魂を打ち込んだすばらしい彫刻家です。現在確認されているだけで85点の作品があります。本校の梅田雲浜像はそのうちのひとつであり,単なる石像というよりは芸術作品であるといえます。

松木庄吉は「精進せよ,精進せよ,いついかなる世が来ても,おのれがよしと信じたことを励め。」という言葉を残しています。そして、今も梅田雲浜像を通して子どもたちにそのように語りかけていると感じてならないのです。